高速道路 Express way.
名神高速道路愛知県・小牧市−兵庫県・西宮市
(その3a 京都府:京都市−大山崎町)
京都府内の区間。左右のルート分岐があったりジャンクションもあったりと色々忙しいです。名神高速の起工地があるのもこの区間です。
県境−京都南IC
[京都東IC]
京都東ICの手前で京都府に入ります。
前述の通り、ここは元々「大津IC」として開設を予定していましたが、当時の大津市長の猛抗議によって大津SAにICを併設した結果、「京都東IC」となった経緯を持ちます。。
[京都東IC]京都東ICでの合流車線。
ここからは京都近郊の平野部を走っていくのですが、見えづらいUp-Downが多いのが厄介です。
[京都南IC 10km]次の京都南ICまでは10km。
[右カーブ]右カーブの地点。
渋滞多発区間なのだとか。カーブの先が渋滞していたら結構危険になりそうで…。
[山科バス停]バス停がありますが、バリケードのようなところで封鎖されています。
休止中の山科バス停と思われます。
[481.6kmキロポスト]481.6kmキロポスト地点。
「日本で最初の高速道路 名神起工の地」と看板が立っています。
1958年10月に、この京都山科の地で起工式が行われました。
[登坂車線 300m先]この先のカーブのところで登坂車線が出現します。
そんなにきつい勾配ではないのですが、わかりづらい上り坂が待っています。大型車は速度調節が本当に大変と思いますが…。
[登坂車線終り]少し走って坂の頂上のようなところに出ると、登坂車線も終わります。
[下り坂]当然ながら、坂を登り切れば下り坂です。
[深草バス停]深草バス停を通過します。
京都市街に位置しており、京阪本線藤森駅にもほど近いところにあるため、このバス停は休止せずに利用されているようです。
[京都南IC 1km]京都南ICまで1km。
なお、下り線の場合はIC番号[33]ですが、上り線の場合は出口が二つに分かれている関係で第一出口が[33-1]と第二出口が[33-2]となっています。
[阪神高速8号京都線]頭上を走っているのは阪神高速8号京都線。
将来的にはここで京都南JCTができて、阪神高速とも接続する予定ですが、今のところは未着工の様子です。
[京都南IC]京都南ICを通過します。
国道1号に接続しています。
京都南IC−大山崎IC/JCT
[京都南IC先]京都南ICからの車両が流入してきます。
合流車線は消失せずにそのまま走行車線となるので、この先は片側三車線となります。
桂川PAまで2km。
[桂川]桂川を渡ります。
[桂川PA 1km]桂川PAまで1kmの地点。
ここからは貨物車は規制標識「特定の種類の車両の通行区分」に従って、左端レーンを走ることになります。
[桂川PA]桂川PAを通過します。
実は、名神高速では最後のPA。ここを通過すると、後は吹田SAが待つのみです。
[左右ルート分岐 3.5km手前]
3.5km先で左ルートと右ルートの分岐があります。
このまま名神高速を走って吹田方面に向かう場合はどっちを走ってもOKですが、大山崎JCTから京滋バイパスに入る場合は左ルートを走る必要があります。
[JR東海道新幹線との立体交差手前]東海道新幹線の下をくぐります。
[長岡京市]長岡京市に入ります。
この手前に向日市との境界もあったのですが、そちらは省略。
[速度落せ]左右ルート分岐まで2km。
道路状況の表示板が設置されています。
規制標識「特定の種類の車両の通行区分」による規制も一旦ここで終了。また左右ルートが合流したところ規制も復活するのですが。
[左右ルート分岐 1.5km]左右ルート分岐まで1.5kの地点。
大阪近辺の広域道路情報が出ています。
[左右ルート分岐 1km]分岐まで1km。
左ルートのところには「京滋バイパス」「第二京阪」と出ていますが、右ルートのところは何も出ていません。
[左右ルート分岐]左右ルートの分岐地点。
ここでは左ルートの方を走っていきます。
[大山崎町]左右ルート分岐のすぐ先で大山崎町へと入ります。
開通当初は、現在のこの下り線の左ルートが「(当初)下り線」、現在の下り線右ルートを「(当初)上り線」としていたのですが、この先の天王山トンネルなどで渋滞が多発したために、2車線ずつのトンネル2本を追加建設し、当初の下り線・上り線計4車線を1998年7月以降よりどちらも下り線として使用しています。
[大山崎JCT]
大山崎JCTにさしかかります。
京滋バイパスがここで分岐しますが、大山崎ICの出口も兼ねています。地図で見るとわかりますが、とんでもなく複雑な構造をしたJCTとなっています。
将来は更に京都縦貫自動車道にも接続する予定なのだとか…。
大山崎IC/JCT−県境
[大山崎バス停]大山崎IC/JCTを通過したところで、大山崎バス停を通過します。
[大山崎JCT付近]正面に見えてきた山が天王山。
1582年の本能寺の変が起き、羽柴秀吉と明智光秀の決戦があったわけですが、この天王山を巡って陣取り合戦が起きたとか起きなかったとか…。
今でも勝負事の重大局面として「天王山」という言葉が使われるのは、この天王山に由来します。
[天王山トンネル]天王山トンネルにさしかかります。
当初は天王山の脇を迂回するルートを計画しており、特段トンネルも建設しない予定だったのですが、山裾に工場を持つサントリーが難色を示し、このトンネルを建設するハメになったとNHKで放送されていました。
高さ270mの山にして超軟弱地盤に悩まされ、相当な難工事だったそうです…。調査日:2010/5
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