高速道路調査 Expressway Investigation.

中央自動車道 富士吉田線
CHUO EXPRESSWAY FUJIYOSHIDA LINE
 〜 本線になりそこねた盲腸線 〜
【起 点】 山梨県 大月市
【終 点】 山梨県 富士吉田市
【延 長】 23.5km
【法定路線名】 中央自動車道富士吉田線
【概 要】
 中央自動車道というと、高井戸IC→岡谷JCT→小牧JCTのことを指しますが、これとは別に「中央自動車道」と名乗るもう一つの路線があります。大月JCTから分岐して、都留市を経由して富士吉田市に出る路線、いわゆる「富士吉田線」です。ただし、「富士吉田線」というのはあくまでも便宜的な通称であり、営業路線名としては「高井戸IC→岡谷JCT→小牧JCT」と同じく単に「中央自動車道」が正式な名称です。

 今から見ると奇妙な路線ですが、実はこの路線こそ日本の高速道路史を投影している路線と言えます。
 まず、1957年の国土開発縦貫自動車道建設法により「中央自動車道」の路線が定められました。このときは、東京から長野県・愛知県経由で兵庫県吹田市に至る路線とされたのですが、現在のような長野県岡谷市経由ではなく、何と南アルプスのまっただ中の静岡県安倍郡井川村(いわゆる静岡県の一番北端のとんがっているところ。現静岡市葵区井川)を経由するルートとされています。当時は「山地の多い日本では、山岳地帯にこそ高速道路を通すべきだ」とする田中清一氏の「縦貫道路」構想が広く知られており、中央自動車道のルート設定もこの考え方が大きく影響しています。
 その後、日本でも本格的に東京・神戸間の高速道路建設に着手することになりましたが、内陸側を通る「中央自動車道」を建設すべきか、海側の「東海道ルート(東名高速道路)」を建設すべきかで議論が紛糾し、国会までもを巻き込む大論争となりました。結果的には、中央自動車道及び東海道ルート(東名高速道路)の同時着工ということで落着します。

 中央自動車道ではまず工事の容易な高井戸IC−河口湖ICの区間から着工が始まります。しかしながら、河口湖ICから先の南アルプス付近を縦貫する区間は着工にも至らず、1963年には難工事を避けるべく当時の「静岡県安倍郡井川村」経由から「長野県上諏訪(=岡谷JCT)」経由にルート変更が提案され、翌1964年にはルート変更が確定。南アルプスの下を通過するルートは放棄され、現在岡谷JCT経由のルートに変更されました。
 しかしながら、既に高井戸IC−河口湖ICの区間は着工済みであり、1967年の調布IC−八王子IC開通を皮切りに、1969年までに河口湖ICまで延伸。その後、1977年に大月IC付近がJCT化され、岡谷JCTへと向かう新「本線」が開通します。以降、残された大月JCT−河口湖ICは盲腸線となりましたが、名称は「中央自動車道」のままとなりました。

 本線になり損ねた盲腸線ではありますが、日本でもかなり古い時期に開通した高速道路であり、案内標識や道路構造物などは歴史の重みを感じさせてくれる物もかなり残っています。現在は終点の富士吉田市でR138富士五湖道路に接続しているため、完全な盲腸線というわけでもなくなっています。
 

(その1 大月市−都留市)
 中央道本線から分岐する大月JCTから都留ICまで。
(その2 都留市−富士吉田市)
 都留ICから河口湖ICまで。歴史的な経緯を考え、富士吉田ICの手前の河口湖ICで流出します。

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